「大エルミタージュ美術館展」へ行く前に・・・ロシアのビッグ・マム、エカテリーナ2世の総復習!


10月3日から兵庫県立美術館で、「大エルミタージュ美術館」展が始まりましたね〜。

エルミタージュ美術館は、ロシアのサンクトペテルブルグにある、世界三大美術館のひとつです。

ちなみに他二つはルーヴル美術館とプラド美術館です。

エカテリーナ2世はこのエルミタージュ美術館の基礎を作った人物です。

今回のブログでは・・・

①エカテリーナ2世ってどんな人?

②大エルミタージュ美術館展の混み具合とこの展覧会のここだけは見とけ!

の二本立てでいきたいと思います。

 

①エカテリーナ2世ってどんな人?

■エカテリーナ2世のおもしろ話

エカテリーナ2世はロシア帝国第8代目の皇帝で、在位は1729年〜1796年。

実は彼女、もともとドイツ人。ロシアの血は一滴も入っていません。しかし、ロシアに移り住んでからというもの、誰よりもロシアを深く知ろうとし、誰よりもロシア人になろうと努めた努力家でした。

エカテリーナ2世を一言で表すと、“やり手のキャリアウーマン”といったところでしょうか。

エカテリーナ2世の肖像画を見てみると、とても美人そうに見えますが、実はあんまり美人ではなかったようです。


こちらは、ウィギリウス・エリクセン《戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像》、1760年代。

権力者の肖像画って大体が小綺麗に描かれているので、現代の私たちから見たら、みんな美男美女に見えますよね〜。

池田理代子著の『エカテリーナ2世』によると、エカテリーナは顎が相当とんがっていたようです。

しかしこの肖像画を見ても、ココリコの田中ほど顎が出ているようには思えませんよね。

現代のプリクラのように、目は実物よりも大きく、顔は小顔に修正されているのでしょう。

あまり器量よしではなかった彼女は人一倍勉強熱心で、ロシア帝国のピョートル・フョードロビッチ(後のピョートル3世)のお后候補と決まった時には、ロシア語を猛勉強し、信仰をルター派からロシア正教へと改宗するなどロシアへの貢献度はピカイチでした。


こちらがピョートル3世。

のちにピョートル3世と結婚しますが、ピョートル3世はいつまでもプロイセンを贔屓し、ロシア軍部から激しい反発を受けていました。

というのも、ピョートル3世はもともと神聖ローマ帝国の中にあるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国生まれで、ドイツ人として育てられたからなんです。

このままドイツ人として生きるように定められていたにも関わらず、ロシア帝国の女帝だった叔母に跡継ぎがいないという理由で急遽ロシアへと連れてこられました。

なので、ロシアにいても自分はドイツ人だ、という感覚が消えず、プロイセンを贔屓し、ロシア軍部から激しい反発を受けていました。

ロシア国内でも結構浮いていたピョートル3世。

挙げ句の果てにはエカテリーナという奥さんがいながら、公然と(※)浮気し、エカテリーナをロシア帝国から追い出そうとする始末。

※”公然と”というのがポイントです。

エカテリーナ2世は実は死ぬまでに愛人が23人もいたと言われており、ピョートル3世の間の子供は実は愛人との子供ではないかと言われています。ですが、こちらは公然と浮気したわけではないからOK、とこういうことなんですね。

エカテリーナはここで愛人とともにクーデターを敢行、ピョートル3世を在位わずか半年という在位で追い出し、自らが女帝となったのです。

エカテリーナ2世は女帝になったのち、ロシアの大国化を推し進めていきますが、私は一番の功績としてエルミタージュ美術館の基礎を作ったことを挙げたいですね!!

■エルミタージュ美術館ってどんなとこ?


画像お借りしました

 

どどーんとそびえ立つのがエルミタージュ美術館。

そのサイズ感からも世界三大美術館と呼ばれる所以がわかるような気がしますね・・・

さてさて。

エカテリーナ2世が大変な才女出会ったことは先ほどお話ししましたが、彼女が美術作品の収集を始めたのは、皇帝になって2年後。

かなり早い時期から美術作品への関心が高かったことが伺えます。

エカテリーナ2世の美術作品収集が本格的に始動したのは1756年〜1763年までヨーロッパを苦しめた七年戦争(※)が終わってから。

※七年戦争・・・1756年〜63年に、プロイセンが形勢逆転を狙ってオーストリアへ侵攻したことにより始まった戦争。プロイセンはイギリスと同盟を組み、オーストリアはフランス、ロシアと同盟を組み戦い、プロイセンとイギリスが勝利しました。

この長い七年戦争は勝者にも敗者にも大きな痛手を残しました。

ベルリンの著名な陶磁器工場の創設者であった、ヨハン・エルンスト・ゴツコフスキーはプロイセンのフリードリヒ2世と仲が良く、以前フリードリヒ2世に代わって、オールドマスターの作品を買ってくれないかという依頼を受け、膨大な数の絵画を購入しました。

しかしこの七年戦争での莫大な出費によって、フリードリヒ2世は浪費を控えざるをえなくなり、ゴツコフスキーは途方に暮れます。そんな時、ゴツコフスキーはロシア軍がプロイセンに残していった貯蔵穀物の取引に手を出してさらに首が回らなくなり、ロシアに巨額の借金を作ってしまいました。

そこでゴツコフスキーが思いついたのが、あの大量の絵画を借金の一部にあてることだったのです。

エカテリーナ2世はこのゴツコフスキーの収集品を大量に買うことで絵画コレクションの本格的な収集をスタートしました。

まぁ、この一見いい人そうに見える行動も、莫大に費用がかかった七年戦争の後でもロシア国家の富を持ってすれば絵画購入など屁でもない、ということをプロイセンのフリードリヒ2世にアピールする狙いがあったようです。

こちらはフランツ・ハルス《手袋を持つ男の肖像》(1640年頃)。

この作品はその時の収集品の一つで、「大エルミタージュ美術館」展でもご覧いただけます!

 

「大エルミタージュ美術館」展では、エカテリーナ2世の在位中に委嘱された作品がなんと42点も展示されます。

42点の作品には、キャプション(作品説明)に王冠のマークが付けられているので、お見逃しなく!

次号へ続く・・・

 

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